日光街道を歩く ③-2 3月5日(火) [街道歩き]
今週後半から暖かくなるといっていましたが、昨日はまだ冷たい風が吹いていました。
それでも昨日の散歩中に今年になってはじめて鶯の鳴き声を聞くことが出来ました。
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前回の続きです。
撮影は2月25日(月)です。
前回の最後の写真と同じですが、この川が越谷市と春日部市の境になります。
橋を渡って春日部市に入りました。
お昼になったので昼食休憩を摂りました。
約1時間の休憩の後再び歩き出します。
北へ向かって歩いているので冷たい北風を受けて歩き続けます。
歓喜院というお寺がありました。
いくつかお寺がありましたがほとんどコンクリートで立て直した物で歴史を感じることは出来ません。
ここもそうでした。
日本橋を出発してから道の両側はずっと建物がありましたが、やっと畑が見えるようになりました。
日本橋から32kmほど来ました。
まだ20%程度です。
何かわかりませんが、こういう石像は街道沿いにはよく見かけます。
急に広くなりました。
これは個人の家のようでした。
道の両側はまだ何らかの建物が続いています。
これはガソリンスタンドの跡地ですね。
備後の一里塚跡です。
特に説明もなく、これしかありませんでした。
東武野田線のガードを通ると、粕壁宿はもうすぐです。
この交差点を左に曲がると粕壁宿に入っていきます。
粕壁宿は綺麗に町並みが整備されており、電柱もありません。
宿場名は「粕壁」ですが市の名前は春日部市です。
市の名前は鎌倉時に住んでいた武家春日部氏に因んでついたそうです。
それ以前は粕壁町だったようです。(春日部市粕壁という地名もあります)
芭蕉が泊まったといわれる東陽寺の門です。
粕壁宿は江戸から4つ目の宿場で1616年にできたと言われてます。
これはベンチです。
郷土資料館に行ってみましたが休館日で見ることはできませんでした。
こちらの店も定休日のようです。
左の店はkids shopとなっていますが右の店は和菓子屋さんです。
お店が閉まっていると、こういう絵を見ることができます。
これは変電ボックスに描いてあります。
日光、江戸、岩槻の三方向を示した道しるべです。
その後ろには旧商家田村本店が建っています。
今はあまり見かけなくなった郵便ポストも健在でした。
日光道中粕壁宿の案内板がありました。
1716年に日光街道と言わずに日光道中と言うようにお触れが出たとの事です。
古い大きな家があります。
又シャッターの絵がありました。
粕壁宿は米や麦の集散地だったようです。
これは江戸時代から営業している米穀商の永嶋庄兵衛商店です。
創業は慶長年間なので江戸時代初期から営んでいるようです。
現在では工場も別にあり大きな米問屋のようです。
店の前に看板が立ててありました。
昔の建物写真ですね。
屋根の上にはあるのは魔よけの鍾馗(しようき)様です。
瓦は新しくなっていますが、これは昔の物でしょう。
これは違う家の蔵のですが、きちんと玄関がありました。
ここに住んでいるのでしょうか?、
それとも後ろの建物と繋がっているのか知りたくなります。
これは屋号でしょうか「濱」の字があります。
これは上の写真の蔵の鬼瓦です。
ここまでが粕壁宿の中心地と思われます。
当初の予定では次の杉戸宿まで行くつもりでした。
まだ三時過ぎでしたが、非常に冷たい強風が吹いていたのでここまでとしました。
この日は少なめで約12km 24,000歩でした。
春日部駅から電車に乗り錦糸町でちょっと寄り道。
飲み始めたところでグラグラ揺れて、一瞬めまいがしたかと思いましたが地震でした。
(震源地日光の、かなり大きな地震でした)
本日もご訪問ありがとうございました。
Nikon D90 / AF-S DX NIKKOR 18-105mmf3.5-5.6G ED VR