日光街道を歩く ①-1 10月22日(月) [街道歩き]
5月17日に足掛け3年で東海道を完歩しました。
東海道完歩の記事はこちらです。
次は日光街道を歩いてみようと計画しました。
日光街道は五街道の一つで、宇都宮までは奥州街道と同じ道です。
徳川家康の墓が、駿府(静岡)の日本平から日光へ移されたときに出来たといわれています。
日本橋を始点に、終点は日光で約140kmあり途中の宿場は21あるそうです。
今回は歩き仲間の石さんと安さん(どちらも仮名です)が同行です。
日本の道路原標が日本橋にありますが、ここからスタートしました。
10月19日(金)です。
三越の前の中央通りを歩きます。
日本橋には昔、河岸があり、築地へ移転するまで魚市場がありました。
海苔の「山本山」、鰹節の「にんべん」などはここから発祥したといわれていいます。
しばらく行くと反対側にこれが見えると、右へ曲がります。
街道歩きをしているとよくある事ですが、横断禁止であったり、鉄道があったりして途切れることがあります。
ここでは、地下道になっていました。
地下道へ降りると異様なにおいが・・・
ホームレスの方のホーム(?)でした。
地下道を出てしばらく進むと賑やかになり、江戸中期から続く「べったら市」をしていました。
こんな行事があることは今まで知りませんでした。
沢山露天が出てべったら漬けを売っています。
神輿も出るそうです。
そのまま進むと横山町に入ります。
繊維問屋街です。
こんな店もあります。
基本的には小売はしていません。
広い通りに出て浅草橋を渡ります。
このあたりから道は北よりの方角に変わります。
ここは屋形舟の乗り場があります。
夜になると赤い提灯をつけて東京湾に出て行きます。
総武線のガードを通ると、浅草橋の人形屋さんの並ぶ通りになります。
そろそろ来年の雛人形の商戦が始まるでしょうね。
人形屋さんが途切れると、今度はおもちゃ屋さんの問屋が見えるようになります。
こんな店で商売になるのでしょうかね。
凧屋さんがありました。
来年は巳年ですね。
さらに進むと浅草に近づいてきます。
官邸のどじょうもそろそろ柳川鍋にでもしないといけませんね。
( おいしいかどうかわかりませんが ・・・・)
おっと! お尻が完全にはみ出ていますね。
吾妻橋交差点につきました。
左へ行くと雷門です。
先がありますので、浅草観音には寄りませんでした。
交差点を渡ったところに浅草寺の一部である、駒形堂がありあます。
吾妻橋のたもとで休憩です。
ここからは隅田川下りの遊覧船が出ており、多くの人が乗り降りしていました。
スカイツリーのビュースポットでもあります。
ここまで日本橋から4kmです。
この先、最初の宿場である千住宿へ向かいます。
続きは次回です。
本日もご訪問ありがとうございました。
東海道歩きの旅、完歩しました。 5月18日(金) [街道歩き]
5月17日(木)に東海道歩きの最後の旅に出ました。
草津(滋賀県)から京都まで約25kmです。
今回は知り合いのNさん同行です。
前日に京都経由で草津に入り、翌朝出発です。
前回の最終地点である、草津本陣からスタートです。(7:30)
まだ開いていません。
草津宿の中を歩いていきます。
先へ進むと静かな、昔の道になります。
約2時間で瀬田の唐橋につきました。
後姿は私です。
橋のたもとで20分位休憩しました。
大津市の中心へ向かって歩きます。
この辺りは京阪電車の石山線が曲がりくねって走っていますので、何回も踏切を渡ります。
お昼前に滋賀県庁の前を通過しました。
この先で昼食です。
この日は午後から雷雨の可能性があるという予報でしたので、先を急ぎます。
すだれ屋さんです。
琵琶湖の葦(ヨシ)は有名です。
札の辻という角を曲がります。
ここからしばらく道路を電車が走ります。
京阪電車の京津線です。
この辺りが本陣があったと言われていますが、跡形もありません。
これから先はしばらく広い国道の横を歩きます。
この間に逢坂(おおざか)の峠があります。
山科の手前で京都市に入りました。(14:00)
この通りは旧三条通りです。
山科で少し休憩して先を急ぎます。
右は三条通り、左は五条橋とあります。
当然右へ進みます。
いよいよ近くなってきました。
もうすぐです。
16:00丁度に最終地点、京都三条大橋に到着しました。
(本日の歩数40,299歩)
やっと終わりました。
万歳しているのは私です。
ふりかえり
2009年7月14日に東京日本橋から横浜まで歩いたのが最初でした。
2009年12月までに金谷(静岡)
2010年8月までに宮(名古屋)
2010年末、1ヶ月の入院
2011年4月に関(三重)
2011年夏 病気再発 40日入院
2012年4月、5月京都まで終了
延べ26日
歩いた距離 約500km
歩いた歩数 754,000歩
総時間(休憩込み) 161時間
(実際は駅までの歩数など入れると約80万歩)
二度も入院したにもかかわらず、幸い、ここまで回復した事に喜びを感じます。
これからも身体を大事にしないといけない事を再確認しました。
ご声援いただいた皆様、ありがとうございました。
これは500kmを共にした靴です。
そして最後に三条大橋の近くで軽く祝杯です。
喉にしみわたりましたね。
この後、これ以上飲まないよう、早めに引き上げて、京都駅から帰途に就きました。
本日もありがとうございました。
東海道 Final Walk に出発します 5月16日(水) [街道歩き]
街道歩きあれこれ 4月29日(日) [街道歩き]
街道歩きをしているといろいろなものに視線が行きます。
今日の写真は26日からの記事には掲載していないものです。
関宿名物の「志ら玉」です。
このお菓子は昨年、関駅で抹茶と共に食べました。
製造しているお菓子屋さんの前を通ったので、1個買っていただきました。
賞味期限は2日なので、買って帰るわけには行きません。
関から坂下宿へ向かう途中の畑の中にありました。
どう考えても、宿場とは関係なさそうです。
大きさは高さが2m位ありました。
旧坂下尋常高等小学校跡です。
国の登録有形文化財です。
何かが落ちてきたような廃屋です。
鈴鹿峠の国道1号線には融雪装置があります。
こんなものにも出くわします。
青大将なんて久しぶりに見ました。
1.5m位はありました。
土山宿から各家の玄関にはほとんどタヌキがいます。。
信楽は近くです。
滋賀県に入ると、この看板が目に付きます。
これがあると道を間違えていない証拠です。
この人は京都から日本橋へ向かって歩いています。
この日で3日目だそうです。
中山道はすでに完歩していると言ってました。
モジャモジャの廃屋がありました。
「美富久」という造り酒屋の前に展示してありました。
滋賀県知事の嘉田さんはのんべえ~のようです。
これは腰ぐらいまでの高さがある大きなものでした。
石部宿で見た洋品店の看板(?)です。
マンホールに目が行きます。
これはどちらも関のものです。
最近はこんな看板は見かけなくなりましたね。
旧街道の細い道を歩いている時に突然現れた白バイです。
女性の白バイ隊員でした。
石の道標も売り物でしょうか?
石材屋さんです。
このように古い町並みだけでなく、おもしろいものも沢山あります。
本日はこれにておしまいです。
東海道街道の旅記録は本日で終了します。
ご覧頂きありがとうございました。
今週は愛孫が来るので、時々お休みする事があるかもしれませんので、ご容赦願います。
旧東海道の旅( 3 ) 4月28日(土) [街道歩き]
昨日の雨もあがり今日は爽やかな良い天気でしたね。
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東海道歩きの続きです。
この日(4月25日)は早起きして電車で昨日の甲西駅まで戻ります。
6時30分頃に甲西駅へ着きました。
草津で買った朝食をここで済ませます。
今日のスタートはこの常夜灯です。
早速歩き出すと、こういう町並みに入ります。
通勤時間帯なので前からも後ろからも自動車が来ます。
石部宿に入ってきました。
本陣跡です。
通学時間帯になってきました。
子供たちも、町の人たちも、挨拶の言葉をかけてくれます。
こちらも大きな声で返します。
見知らぬ土地で挨拶をされるのも気持ちの良いものです。
そのような教育されているのでしょう。
石部宿の紹介を含めて小さな公園がありました。
しばらく休憩して再び出発します。(8:00) 5852歩
道は普通の道路になり車が多く、歩道が無いのでこんなところを進みました。
名神高速道路の下を通ります。
近代的な高速道路の下を徒歩で通過します。
歩いているとこんなものがありました。
見ていると上の窓が開いておじさんが顔を出しました。
この荷車は昔の参勤交代に使われたものとの説明をしてくれました。
この辺りの家はなぜかみんなこんな色で塗ってあります。
旧和中散本舗の建物です。
和中散というのは薬の名前で徳川家康の腹痛を直したといわれています。
ここの見学は予約制なので前を通り過ぎるだけです。
近くに小さな公園があり少し休憩しました。
9時15分頃です。
これは元々呉服屋さんだったそうです。
この建物は明治時代の建物で、登録有形文化財だそうです。
現在も呉服屋さんでした。
どんどん進みます。
事前に入手していた街道案内図に「車に注意」とあった所です。
のんびり歩いてはいられません。
新幹線が見えてきました。
いよいよ草津市に入ります。
左の道をとおって川の土手に上がります。
そこから約20分位で、中山道と合流します。
そして本日のゴール草津本陣です。(11:35)
中に入って見ましたが、撮影禁止なので写真はありません。
この日は約4時間20分、13kmの歩行でした。
草津で昼食後、一旦京都へ出て新幹線で帰途に就きました。
残り約25kmで京都です。
今月中に最終京都まで行きたいと思っています。
今日も最後までお付き合いありがとうございました。
旧東海道の旅( 2 ) 4月27日(金) [街道歩き]
旧東海道の旅2日目です。
4月24日です。
天気も良さそうで、爽快です。
水口からバスで「あいの土山道の駅」へ戻り、歩き出します。
8:20に出発です。
いよいよ土山宿の中心地へ入ります。
土山宿は昔の建物が良く保存されています。
各家には昔の屋号と生業が表示されています。
これまでいろいろな宿場町でも見かけました。
橋にはこんな絵なども描いてあります。
この辺りは茶所です。
野洲川の流れと新緑がきれいでした。
街灯はこんなデザインです。
街道の横はのどかな田園地帯です。
出発から約4時間で水口宿に入りました。
ここまで一万八千歩です。
水口宿は土山宿と違い旧家の保存はされていません。
真ん中の道が通ってきた東海道です。
正面にはからくり時計があります。
この近くで昼食休憩にしました。
水口宿には曳山祭りという山車を使ったお祭りがあります。
残念ながら19日、20日に行われた直後でした。
これは展示してある山車です。
近江米の産地なので、沿道には造り酒屋が 沢山ありました。
その内の一軒です。
しばらく行くと野洲川に突き当たります。
ここは横田の渡しと言って橋はありません。
ここは迂回して橋をわたって進みます。
休憩所にこんな看板がありました。
このトンネルは天井川のトンネルで上には川が流れています。
このようなトンネルがもう一つあります。
この先で草津線の甲西駅の近くになりますので、二日目を終えることにしました。(16:40)
あいの土山から約22km 36,000歩でした。
この後電車で草津まで行き草津泊としました。
明日はここから石部宿を通り草津宿までの道中記です。
本日も最後までありがとうございました。
旧東海道の旅 4月26日(木) [街道歩き]
しばらくご無沙汰しました。
沢山の方にお見送りいただき、ありがとうございました。
私は2009年の7月に東海道を京都まで歩いて行くということを始めました。
何回にも分けて2010年の夏までに宮(名古屋)まで行きました。
2010年暮れには体調を崩し一旦休止しました。
2011年4月に関(三重)まで行きましたが、昨年夏に再び体調の問題で休止していました。
それまでの記録はまだブログをはじめていなかったのでホームページを作っていました。
興味のある方はこちらを御覧ください。
このブログでは簡単な記録とします。
体調も回復し、暖かくなったので再開する事にしました。
今回のコースは関から草津(滋賀)までです。
草津までには坂下、土山、水口、石部、の宿場があります。
坂下と土山の間には鈴鹿峠を越える必要があります。
赤い線のコースで約50Kmです。
以前のペースでは2日のコースですが、今回は3日間で歩きます。
自宅を6時半ごろ出て名古屋経由で関には10時過ぎです。
小雨が降っていました。
こんな可愛い列車で到着です。(関駅にて)
広重の関宿の版画です。
関宿の町並みです。
きれいに保存してあります。
関から坂下宿を通り、鈴鹿峠のすぐ下までは緩やかな上り坂が続きます。
ここは坂下宿です。
雨はあがり青空が見えてきました。
坂下宿を過ぎてしばらく行くと、坂が急になります。
歩いているのは私です。
急な上りに差し掛かる前にせき止めた水がきれいに流れていました。
新緑の緑もきれいです。
段々急になります。
鈴鹿峠では昔は山賊が出たそうです。
いかにもそのような雰囲気です。
この坂道を登りきると峠の頂上に着きました。
峠を越えるとここから滋賀県です。
万人講常夜燈です。
桜はもう散っていました。
ここからは坂を下るだけです。
緩やかな下りがずっと続きます。
こんな道です。
場所によってはここみたいに、旧東海道は道路の色が変えてあります。
この日(4月23日)はここで終了しました。
この日は約6時間の歩行 歩数約23,000歩でした。
ここからバスに乗り水口のホテルに向かいました。
土山宿の版画です。
本日はここまでです。
明日は2日目を掲載します。
ありがとうございました。