日光街道を歩く ②-1 1月26日(土) [街道歩き]
昨年10月にスタートした日光街道の続きを歩きました。
1回目は日本橋から千住宿まで歩きました。
1回目の記録は下記をご覧ください。
日光街道を歩く ①-1
日光街道を歩く ①-2
今回は北千住の駅からスタートです。
歩いたのは1月23日(水)
写真が多いですがご容赦願います。
前回も同行した「Iさん」と待ち合わせて午前10時にスタートです。
前回の最終地点まで北千住の商店街を歩きます。
この通りは前回も歩いていますが、その時新築工事中だった「かどや」のお店が新装されていました。
昔のお店は、こういう状況だったようです。
(ネットから借用していますので周辺も変わっているかもしれません)
こんな店になっていました。
みたらし団子のような「やきだんご」と餡がついた「あんだんご」の二種類ありました(1本90円)。
前回の終了地点はここです。
水戸街道の分岐点です。
日光街道は直進します。
しばらく行くと荒川土手の手前に名倉医院があります。
江戸時代から骨つぎと言えば名倉と関東一円に知られた骨つぎであったといわれています。
この建物は江戸時代から昭和中期まで使われていた建物だそうです。
荒川の土手に上がります。
千住新橋が見えます。
昔、ここは川ではなく、湿地帯であったと言われています。
大正時代から、昭和初期にかけて作られた川です。
昔の日光街道は斜めにこの場所から横断するように続いていたと言われています。
橋を渡ります。
国道4号線です。
橋を渡って左に曲がりしばらく行くと善立寺と言う近代的なビルのような建物がありました。
先ほどの名倉医院の辺りから、ここまでがまっすぐつながっていたそうです。
ここで北へ曲がりここからほとんど一直線の道が5kmぐらい続きます。
石不動尊と言われる小さな祠があり、お地蔵さんがありました。
このお地蔵さんは青い布が掛けてあります。
道は続きます。
所々に道標があります。
東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の梅島駅まで来ました。
まだまだ続きます。
島根交差点です。
直進し、しばらく行くと
ここを曲がったところに国土安穏寺と言うお寺があるので寄ってみました。
立派な仁王門があります。
国土安穏寺(日蓮宗)は、天下長久山と号します。
応永17年(1410)に創建したといいます。
将軍徳川秀忠・家光が、当所巡遊の折の御善所となりました。
寛永元年(1624)現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となったと言われています。
そのためか門には徳川家の葵紋がついていました。
こちらは本堂です。
ここにも葵紋が
日光街道とは関係ありませんが・・・・墓所は綺麗にしましょう。
戻って再び北上します。
しばらく歩くと「鷲神社」と言う神社がありました。
ここにも寄ってみました。
さらに進むとこんな道標がありました。
増田橋跡 北へ日光道中と彫ってあります。
日光街道ではなく日光道中と言うみたいです。
同じような道が続きます。
昔は何もない湿地だったそうです。
足立区の清掃工場の前まで来ました。
その先に法華寺というお寺がありました。
江戸時代に小塚原刑場の死刑囚の菩提を弔う寺であったと言われています。
小塚原刑場は現在の南千住にありました。
前回に通っています。
しばらく行くと毛長(けなが)川という川を渡ります。
正面の煙突は先ほど通った清掃工場の煙突です。
川を渡るとここから埼玉県草加市に入ります。
国道49号線です。
丁度昼時になったので、横のジョナサンで昼食休憩としました。
昼食後、歩き出すと草加せんべいのお店が目立つようになりました。
歩いていくと火あぶり地蔵という地蔵堂がありました。
草加せんべい屋さんが沢山あります。
またありました。
しばらく行くと道が分かれます。
ここから草加宿の中心地に入っていきます。
次回は草加宿に入って行きます。
本日も最後までお付き合いありがとうございました。