有楽町から晴海通りを歩く 10月30日(火) [お出かけ]
昨日29日は、雨上がりの晴天でしたが強い風が一日中吹いていました。
28日に所用で東京へ出かけました。
まだ仕事をしていた頃、健康管理を兼ねて有楽町から晴海まで毎朝歩いて通勤していました。
この日の用事も晴海であったので久しぶりに歩いて見ました。
有楽町マリオンの西武の跡はルミネに変わって、イメージが変わっていました。
数寄屋橋の交差点は相変わらずですが、小雨が降っておりあまり人通りがありません。
ここは地下道がありそちらを通れば濡れないからでしょう。
毎日通勤していたのは5年前まででしたので、新しい店が増えています。
GAPのお店です。
私には関係の無いGUCCIのお店も出来ていました。
銀座の本通りは歩行者天国になっていましたが、雨のせいか人は少ないですね。
銀座四丁目から新橋方向を見たところです。
銀座三越の新館が出来て広くなっていました。
5年も経つと変わってしまいますね。
ここを過ぎるともう東銀座になります。
新しい歌舞伎座です??
上の絵は工事現場の防護壁にかかれたものです。
こんな絵も描いてあります。
大分工事が進んでいる様です。
東銀座を過ぎるともう築地四丁目の交差点です。
距離にして有楽町から1km余りでしょう。
さっさと歩くと15分もあれば着きます。
中央の建物の場所には、5年前は今にも崩れそうな古いビルがありましたが、今はホテルでした。
ちょっと築地の路地に入ってみました。
すし屋の前にありました。
これから中落ちを取るのでしょうか。
日曜日なので余り人はいませんが平日ならば人がごっがえしているところです。
それでも何軒かが営業していました。
この通りも平日は気をつけて歩かないとターレーという市場用の運搬車に轢かれそうになることがあります。
写真は撮っていませんが行列の出来ているおすし屋さんもありました。
築地を過ぎると勝鬨橋に着きます。
勝鬨橋は昭和15年に出来ました。
中央部分が二つに別れ跳ね上がる橋になっていましたが、昭和43年以後は上がることはありません。
国の重要文化財に指定されています。
昭和43年といえば、私は大学生でしたが、東京にはいませんでした。
跳ね上がるところを見てみたいものです。
ここにかちどき橋の資料館がありますが以前来たことがあるので寄りませんでした。
下は隅田川で遊覧船が通ります。これは浅草方面へ向かう船です。
ここが橋の中央部分で右側と左側は離れています。
隙間からは下の川の水面が見えます。
橋げたが無いので、写真を撮っているときでも大きなトラックが通ると上下に揺れていました。
築地市場の方を見ると、専用埠頭があり船が着いていました。
東京タワーも遠くに見えます。
右は汐留のビル群です。
築地市場の移転計画は進むでしょうか。
勝鬨橋を渡ると住宅が多くなります。
時間があるので月島の方へ行ってみました。
以前無かった高層マンションがいくつか出来ていましたが、こんな景色は以前のままです。
高いビルの37階が私の勤務先でした。
こちらは月島の本通りです。
月島と言えばこれですね。
私は江戸っ子ではないので、もんじゃ焼きはほとんどなじみがありません。
今でも焼き方がわかりませんし、ほとんど食べません。
お好み焼きの方が好きですね。
お好み焼きは昼食代わりに家で作ることもあります。
あなたはもんじゃ? お好み焼き?
関西系の人と、関東系の人の好みが違うところでしょう。
この辺りの名物はもうひとつ。
細い路地です。
レトロな雰囲気を出すため、モノクロにしてみました。
路地の向こうには高層マンションが見えます。
もう少しぶらついていると、佃島の方まで来ました。
高層マンションと佃島の船溜まりです。
佃煮の発祥の地です。
以前一軒だけ佃煮屋さんがありましたが、見つかりませんでした。
朽ちた船が沈んでいました。
こんな細い路地に地蔵様があるようです。
奥の灯りが点いているところでしょう。
この後、この日の本来の目的である晴海トリトンスクェアの第一生命ホールへ向かいました。
次々変貌する新しい銀座、下町情緒と高層マンションの混在している勝どき、月島エリアでした。
本日もご訪問ありがとうございました。