いたち川について 2月1日(水) [いたち川散策コース]
今日から丹沢方面の写真になります。
天気はよいですが少しもやがかかっているような感じがします。
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今まで何回もいたち川の写真を掲載しています。
いたち川という名の由来を紹介します。
以下、いたち川散策マップからの引用です。
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いたち川の名は「イデタチ川」から変わったものと考えられています。
鎌倉時代、鎌倉街道が通るこの地は、幕府にとって交通上、軍事作戦上の需要なところで、宿駅もあったようです。
出で立ち川とは「いざ出立」と鎌倉街道を下って行く際に、安全を祈る出発の儀式に由来するようです。
室町時代の「鎌倉年中行事」にも、関東公方が武蔵方面の征討に出かけるとき、
吉例によって「いたち川の宿」で昼食をとり、これからの安全を祈るという事が書かれており、
鎌倉時代からの慣例として永く続いていたようです。
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ということで、「いたち」が生息しているという事ではないようです。
この辺りは昔から何らかの村落とかがあったようです。
川沿いには古い道標などあります。
今日は川沿いに歩き、それらをたずねてみました。
これは巡礼供養塔です。
横を見ると寛政三年(1791)の文字が見えます。
次にあるのは道標です。
「とつか」と書いてあるようです
この場所は今でも戸塚方面へ行く通りです。
こちらは何が書いてあるかわかりません。
建てられたのは、元禄四年?(1691)ではないかと思います。
このとなりには延命地蔵があります。
さらに川の下流のほうへ行くと水神様があります。
大正9年となっていますが、もっと古そうです。
修繕したものかもしれません。
少し川から離れるのですが六地蔵があります。
これはいつ建てられたかは定かではない。
一度、他の場所へ移され、再び現在の地(元々あった場所)に移されたというようなことが書いてあります。
顔が比較的はっきりしているものや崩れてしまっているものもあります。
今日訪れたところは全て何らかのお供え、花がありました。
今でも近くの方が世話をされているのでしょう。
明日は再び冷え込むという予報です。
週末は立春というのに春は遠いですね。
本日もありがとうございました。
今日は1万6千歩も歩いてしまいました。